English


No.52 ページ.1ページ.2ページ.3過去活動実績
日本経営者新聞 No.52

日本とインドネシア 石油危機から日本を救った稲嶺一郎氏

 太平洋戦争の戦中・戦後を通じ、日本と インドネシアの相互理解、政治関係の促進、 2国間友好関係の構築に貢献した政治家と して、稲嶺一郎元参議院議員の名前が第一に 挙げられる。
 稲嶺氏は1905年9月23日、沖縄県に生 まれ、生家は三司官(さんしかん=旧琉球 王国の宰相職)を務めた名門。早稲田大学に 入り、下宿先の大学の恩師、西村眞次教授 の娘と結婚した。西村教授は戦前、日本人 のルーツを解明した文化人類学者である。

運命の出会い
 44(昭和19)年、稲嶺氏はジャカルタの 日本海軍武官府の要請により満鉄バンコク 所長から同武官府華僑課長として赴任。 このとき、民族指導者のスカルノ氏、イスラム 指導者のナシール師らと深い親交を持ち、 終戦後、日本軍の武器、弾薬、食糧などを 秘かに提供、助言を与え、インドネシア 独立戦争を支援した。これが発覚し、 オランダ軍により戦犯としてグロドッグ刑務所 (西ジャカルタ地区)に一年余り投獄される。 この刑務所で金子智一ジャワ軍政監部宣伝 班員(戦後、日本歩け歩け協会会長)と 一緒になり、後、金子氏と同郷(山形)の 木村武雄衆院議員と稲嶺氏はスハルト政権 誕生と共に2国間友好協力関係を円滑に 主導して行くこととなるが、その運命の出会い がこのグロドック刑務所だった。

 ナシール師は日本軍施政下、マシュミ(インド ネシア・イスラム教徒協議会)指導者として 活躍、世界イスラム教徒会議副議長として イスラム世界では著名な指導者で、世界の イスラム指導者の連帯を呼び掛け、55年に バンドンで開かれた初のアジア・アフリカ会議に は、多くの世界のイスラム国の指導者・スルタン が参集した。
 73年10月、第4次中東戦争がぼっ発、石油 輸出機構(OPEC)は原油の生産を削減、原油 価格を一挙に70%引き上げた。さらに、アラブ 産油国はイスラエル支援国に対し石油禁輸措置を 発表。 第1次オイル・ショックが世界を揺るがした。

 日本ではトイレット・ペーパー・パニック現象は あったものの、大きな混乱はなく、80年以降の 日本経済は注目されることとなった。この背景 には、稲嶺氏の偉大な貢献があった。
 50年に琉球石油(現りゅうせき)を設立して 社長を務め、70年に参院議員となった稲嶺氏は オイル・ショック後、旧知のスハルト大統領(当時) に石油の輸入増大を依頼した。さらに、サウジ アラビアの石油の対日輸出工作を無ニの親友である ナシール師に依頼。稲嶺氏はナシール師の書簡 を携え、サウジのファイサル国王に面会、石油は インドネシア経由で日本に輸出されることとなった。

ミスター・アセアン
 81年、自民党外交部会長だった稲嶺氏 はアジア諸国との関係強化を促進するため、 東南アジア諸国連合(ASEAN)協会を設立、 自ら会長に就任した。ちなみに2代目は 石原慎太郎氏である。また、稲嶺氏は 戦時中インドネシアにいた軍人軍属の戦友 会組織をまとめ、日本インドネシア友好 団体協議会を創設、東南アジアの人々から ミスター・アセアンと呼ばれた。
 稲嶺氏は89年6月19日死去、83歳 だった。元沖縄県知事稲嶺恵一氏は稲嶺氏 の子息である。
 下地常雄ASEAN協会代表理事は「稲嶺 一郎先生は沖縄を代表する代議士、琉球 石油のトップとしてらつ腕を発揮し、国家を 背負っている代議士らしい代議士だった。 何より東南アジアこそが、経済的にも地政 学的にも日本の生き残りを担保するものに なるとしてASEAN協会を創設した、先見 の明ある政治家だった」と振り返った。  

 日本とインドネシアは長きにわたって 友好関係が保たれている。それは明治から 現在まで、多くの先達によって築き上げら れ、特に終戦以降、多くの人たちの血と 涙と汗と努力によって達成された友好信頼 関係でもある。両国の関係は今後とも 重要であるが、他方、先達の努力は忘れ 去られ、その功績を省みる人も少ない 状況になっている。これからの日本人は インドネシアやアジアに対してどう対応 すべきなのか。先人達の功績を温故知新と すべきではなかろうかと考えて、過去の人物 を紹介していきたい。(濱田雄二)

 

  • スハルト首相を訪問する稲嶺一郎氏 写真提供: ASEAN協会

普天間未来基金のお知らせ

 沖縄県宜野湾市の中心に位置する 普天間飛行場は、その危険性ゆえに日米両政府 において返還合意がなされ、合意後二十年以上 経ったにも拘わらず、返還が実現されていない。

 視点を世界に広げると東アジアと日本本土の 中心に位置しているという地理的特性から ポテンシャルが高い場所となっており、その跡地 利用は、沖縄振興の発展はもとより日本経済の 起爆剤になるものと言われている。

 今年七月に、宜野湾市は普天間未来基金を 開設し、跡地利用に伴う将来の財源需要に 備えるとともに、大きな可能性を秘めた基地 跡地というフィールドにおいて活躍することと なる未来を担う人材育成などに活用していくこと を考えている。

 普天間未来基金への寄付の種類として、 ①宜野湾市ふるさと応援寄付(「基地跡地利用の 推進に関する事業」に指定された寄附)、
②一般寄附(宜野湾市ふるさと応援寄附によらな い寄附)がある。

 企業等からの寄附状況について
寄附者(社)数 八件
寄附金額 16,100,000円


沖縄県宜野湾市野崇1-1-1
宜野湾市基地政策部まち未来課
Tel: 098-893-4401(直通)
Fax: 098-892-7022
E-mail: kichi01@city.ginowan.okinawa.jp


No.51 ページ.1ページ.2ページ.3過去活動実績